夫はとてもテンションが上がっているようだ。17年前に関ヶ原を訪れた時を思い出す。
暑さや運転疲れもあってか、私は肩が重く気分が悪かった。まるで武者の霊がのしかかっているようで、早く帰りたかったが。。。
関ヶ原では、あちこち移動した。資料館(関ヶ原ウォーランド)、石田三成の陣跡、徳川家康の陣跡。
小早川秀秋が石田三成を裏切った時、小早川秀秋を見限った武将がいたそうである。松野主馬、臆病者では無い事と示す為に、そのまま戦場に残ったそうだ。
反対に小早川秀秋が徳川家康に突っ込んでいれば、松野主馬が血刀を振り乱して先陣をきっていたはず、と興奮している。
この戦場で死んだ一番の大名は、大谷吉継だ。石田三成・小西行長・宇喜多秀家は、戦場から再起を期して逃れた。逃す為に石田三成の配下は最後まで戦ったそうだ。
大谷吉継はらい病の首を曝したくなくて、家臣に首を隠すよう命じた。それを知っていながら、徳川家康に命をかけて喋らなかった藤堂高虎の家臣。夫はこういう話が好きだ。
但し藤堂高虎、小早川秀秋とともに裏切った脇坂安治(播州竜野藩の初代)は嫌いなようだ。
陣形から誰が見ても、石田三成率いる西軍の勝であったようだ。ここまで持ってきた石田三成はよくやった。

関ヶ原ウォーランド

石田三成の陣跡
次回は戦後処理の話になる。さてどうなるのか?直江兼続と小早川秀秋の対面がある。新しい天下人を認めなければならなかった上杉の苦渋がどう描かれるのか、楽しみにしている。来週も待ち遠しい。