2009年09月29日

石田三成へのオマージュ

9月27日(日)天地人、関ヶ原後、直江兼続の上洛だ。毛利輝元が長門・周防の二国に減封。石田三成は処刑。司馬遼太郎が語っていたが、豊臣7将の一人、浅野幸長が「三成がいなくなってから、世の中の不正を不正とも思わなくなった!」 潔癖過ぎたのかもしれない。
また黒田如水の言葉で「三成は成功した。あの時点で三成までが家康に走ったなら、世の中の秩序はどうなっていたであろうか!」と言うのもある。天下分け目の戦いまでもって行った事は、豊臣秀吉に対する何よりの供養でだった。
外様大名取りつぶしの徳川の方針から見れば、石田三成の運命は明らかである。徳川に重用されたのは、夫の嫌いな藤堂高虎だ。
石田三成に対するエピソードは色々ある。季節はずれの桃を献上され、「季節はずれで殿下にもしもの事があればどうするのか?」といって献上しなかった話。正論ではあるが、献上した側は気分悪くなる。相手を思いやる気持ちにかけていたようだ。
が、島左近はじめ石田三成に準じた家臣は多く、領民にも慕われた。
関ヶ原後も直江兼続は江戸城攻撃を献策したが、上杉景勝は取り合わなかった。
来週は上杉家が、処分120万石から30万石への減封の話だ。この場面は藤沢周平「密謀」がお勧めだ。


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石田三成の処刑

posted by jirokayo at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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