
エリザベートが暗殺された後はハプスブルグ家の者がこの城を訪れることもなく、ふたつの世界大戦中は国家元首の別荘として使われた。戦後はソ連兵の兵舎として使われ、一時は廃墟のように荒れはてたが現在は修復作業が続けられ、見学できる箇所が増えている。

宮殿入り口
大平原トラベルの現地ツアーに参加して、グドゥルー宮殿を訪れた。ガイドのカタリンさんから宮殿について、エリザベートについて沢山の説明を聞いた。2007年に放送されたNHK「ハイビジョン特集 ハプスブルグ帝国」を当時は繰り返し見ていたので、ハプスブルグの歴史はざっくりと覚えていた。

エリザベートとフランツ・ヨーゼフの母親は姉妹で、二人は従弟だった。親同士はエリザベートの姉とフランツ・ヨーゼフを結婚させる約束をしていたが、顔合わせの場所に後から遅れていったエリザベートをフランツが気にいって、エリザベートを結婚することになった。

宮殿の礼拝所、今は結婚式にも遣われる。
バイエルンで伸びやかに育ったエリザベートは、堅苦しいウィーンの宮廷生活に耐えられなかった。厳格な姑(叔母)に生活を管理され、子供はあなたには育てられないでしょう、と言われ取り上げられたそうだ。心身共に疲れ果て療養のために旅に出たり、ハンガリーを訪れていた。

エリザベートの部屋
ハンガリーに自由と安らぎを感じたエリザベートは、ハンガリーの人々の自由への思いも理解する。皇帝フランツにハンガリーに時事権を与えることを進言し、皇帝はそれを受け入れ、オーストリア=ハンガリー二重帝国となった。

19世紀半ばの宮殿

皇帝、エリザベートと子供達

プロシアとの戦争時には病院にもなった。
宮殿の中には大理石でできた部屋がある。マリア・テレジアがブダペストを訪問したときに宿泊した。ブダの王宮に泊まらずグドゥルーに滞在したことを大変名誉に思った城主は、100年間この部屋は使わないと決めたそうだ。ソ連軍の兵舎になったときに、マリア・テレジアやエリザベートが遣ったベッドなどは、マキとして燃やされたそうです。
宮殿内は撮影が禁止されています。
グドゥルー宮殿
Gödöllői Királyi Kastély
Gödöllő, Grassalkovich-kastély, HRSZ: 5852, 2100 Hangary
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ラベル:ハンガリー