2015年10月04日

日本語訳です!C BBC Rollermania: Britain's Biggest Boy Band☆

9月20日 BBCのRollermania Britain's Biggest Boy Bandの日本語訳の第4弾です!13分10秒〜15分49秒までです。送っていただいたお友達に感謝いたします! ありがとうございます!!



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(13分10秒からです)
フィル:『以前、何年間もレコード会社の役員、経営陣はレコードを買う子供は16、17、18、19才だと思っていたんだょ。でもローラーズの時にレコード会社の経営陣たちは分かったんだょ。ついにレコードを買う子供たちが7、8、9、10才にまでなっている!ってね。これは全て初めての出来事だったんだょ。それがレコード会社と市場とのギャップだったんだ。
作家 スチュワート・スコグローブ:『〔グループのシングルは2分半、そしてフックやコーラスが有って、一緒にハミングでき、足でタップのリズムを取っているのを実感するものでなければならない。]と…60年代の素晴らしいポップ音楽の全ての曲が、そう私達に教えてくれたんだょ。そしてローラーズが素晴らしいポップソングを運んできてくれたんだょ。』

1974年の末、彼等のデビューアルバム“Rollin★エジンバラの騎士”はヒットチャートの1位になりました。
しかしローラーズは嬉しくはなかったのです。

フィル:『大きくなっていく憤りが有ったと思うね。自分たちが実際演奏していなかったからね。彼等は自らの力で自分達のヒット曲を書きたいという感覚を持ち始めて、自ら自分達の曲を演奏したかったんだょ。』
デレク:『僕等は、自分達自身の歌をレコードとかで演奏する…など…、自分達で自らの事をする事が許されなかったから、それで、もうだんだん嫌になってきたんだょ。』
フィル:『僕は「ベイシティローラーズ(のメンバー)がヒット曲を書けるわけがない」と言ったのを覚えているょ。なぜかって?簡単だょ。彼等にその能力が無かったんだょ。彼等がする事ではないんだょ。』
トニ−・ロバーツ/ベル・レコード会社:『ローラーズのメンバーが僕の所にやって来て言ったんだ。「ぼくらは、もうこの人たち(それまでのプロデューサーだったフィル&ビル)とは二度とスタジオに行かない。」と。「僕等は違うプロデューサーが欲しい。」とね。』
ローラーズはレコードで演奏出来なかった愚弄による激しい心の痛みがあったため、スタジオで自分達の能力を証明したかったのです。
トニーロバーツ/ベルレコード:『僕はローラーズのその勢いを止めたくなかった。僕は一年間も問題解決のために裁判に時間を費やしたくなかったんだょ。誰が誰に何をするんだい?…私達がレコードを売りまくるチャンスの時に…だょ。』
ビルとフィルには報酬が支払われ、2人は解雇されました。
そして新しいプロデューサーのフィル・ウェイマンがヒット曲を繋いでいく仕事を与えられました。
(13分10秒〜15分49秒)
posted by jirokayo at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | Bay City Rollers | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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