2016年04月24日

破鞋(はあい) 雪門玄松の生涯、 水上勉(1986年)

水上勉の「破鞋(はあい) 雪門玄松の生涯」を読んだ。「若狭の禅僧のことを書いた本で、読んだらいい」、と結婚当初に義父から貰った本だ。私が仏教に関心があることを知って、義父は月に一度座禅をしに姫路のお寺に行っている話などをしてくれた。

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この禅僧、雪門玄松の話がずっと気になっていたが、読書が超苦手なので読むことができず25年が過ぎた。本を開いたらカフェのレシートが挟んであった。2006年11月に義父が亡くなった後、未読を反省しカフェで読みかけたことを思い出した。今は義母が亡くなり家の片付中で、義父の禅宗関連の本を引き取る前にまずこの「破鞋」を読もうと思った。(破鞋は破れた履物の意味)

義父は8人兄弟の長男で家を助けるために工場で働き、夜学に通っていた。神戸までの定期代と学費を以外の給与は、全て家に入れていたそうだ。理系だったので徴兵されずに済んだと聞いた。この本をどう読んだか、義父の思いへの想像が膨らんだ。和歌山の豪商の長男、雪門玄松が出家することになったこと、傾いた生家を建てなおすために由緒ある禅寺の館長を辞め還俗したこと、最後は若狭で乞食僧になって禅の教えを説き歩いたこと、波乱万丈である。

本の解説:
雪門玄松、忘れられた明治の一禅僧。富山県高岡国泰寺の管長をつとめ、若き日の西田幾多郎、鈴木大拙もその下に参禅した高僧だが、その生涯は謎に充ちている。国泰寺管長の座を捨て在家禅を唱導、さらに奇怪な還俗生活ののち、若狭の孤村で乞食僧として没した。この破天荒な僧の生きざまに深く心動かされた著者は、雪門ゆかりの地への旅を重ね、その実像に迫る。『一休』『良寛』につづいて、渾身の力を注いだ水上文学の結晶。


筆者の水上勉も若狭出身、貧困で9歳で臨済宗の寺に修行に出された。資料のないなかで精一杯、尊敬の念で雪門玄松を描いたのだと考えます。水上勉の本は実家にあるので、「一休」「良寛」もいつか読みたいと思います。
posted by jirokayo at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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