
Les origines du monde. L'invention de la nature au XIXe siècle.
3頭のインドサイの作品が掲載されています。ローマ時代のサイがヨーロッパに来ているかもしれないけれど、証明できるものはなく、1515年のデュラー(Albrecht Dürer)の銅版画がサイの存在をヨーロッパに知らしめたそうです。

Les origines du monde. L'invention de la nature au XIXe siècle.
上がデュラーの銅版画です。

素晴らしい作品で存在を明らかにしてくれたサイはリスボンに上陸し、1556年にローマ教皇 レオ10世に拝謁に向かう途中でラ・スペツィア(イタリア)近郊で遭難しました。

カタログの下はスペイン、フィリペ2世に献上された雌のインドサイ Abada(アバダ)です。
アバダのことはカタログに詳しく書かれていないので、調べてみました。1577年にアバダはポルトガル領のインド副王から贈られました。1580年にポルトガル王を兼ねることになったスペインのフィリペ2世がアバダをマドリードに移しました。1583年にマドリードから45kmの「エル・エスコリアル」に移動させました。

エル・エスコリアル 2016年撮影
エル・エスコリアルは1563年から1584年にかけて造くられた修道院、王家の墓所です。

ここにサイのアバダが住んでいたとは驚きでした。インドゾウもいたそうです。
1584年11月にアバダは一般に公開され、日本から訪れた天正遣欧少年使節団もエル・エスコリアルでアバダに会っています。

エル・エスコリアル 2016年撮影
NHKの特集2010年放送の《プレミアム8城王たちの物語》 エル・エスコリアルの孤独〜フェリペ二世と4人の王妃〜 を観て感動し、いつか訪れたいと思っていて、2016年に叶えることができました。

フィリペ2世はこの「エル・エスコリアル」の完成を切に願っていました。遠く離れた山の上、この石に座って進捗状況を見ていたそうです。

フィリペ2世はポルトガル、イギリス、フランスの姫君と結婚しましたが、先立たれて、3人の子共たちも亡くしてしまいました。世継ぎを残すため4度目はハプスブルク家(オーストリア)の姪と結婚しました。「太陽の沈まぬ帝国」を築いたものの陰りが見えていくスペイン、フィリペ2世は孤独と苦しみはどんなであっただろう、と思い馳せました。

Les origines du monde. L'invention de la nature au XIXe siècle.
カタログの作品が多かったサイは「クララ」で説明も詳細でした。まだ全部理解していませんが、クララはヨーロッパに来た5頭目のサイです。旅をしてたくさんの人々と会いました。クララのことはまたあらためて書きたいと思います。