2025年01月17日

東遊園地 1.17の追悼のつどい(2025年1月17日) 阪神淡路大震災から30年

阪神淡路大震災から30年が経ちました。神戸 三宮の東遊園地で「1.17の追悼のつどい」が開催されました。

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たくさんの方が来られていました。

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5時46分に黙祷を捧げました。
犠牲になられた方々のご冥福と、ご遺族の悲しみが少しでも和らぎますようにと祈りました。

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月が明りを落としていました。

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希望の灯り

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慰霊と復興モニュメント

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東遊園地をでて北に向かって帰るころ、山から風が吹いてきました。

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東遊園地に行く道、交通センタービルの信号手前でカイロをいただきました。どちらの方が配っておられたのかわかりませんが、ありがとうございました。

posted by jirokayo at 08:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 神戸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
香代子さん、みなさん、こんばんは。

阪神大震災から、30年となりましたね。
大阪にすんでいても、この日のことは、忘れません。あんな強い揺れは、初めてのことです。

香代子さん、早朝の追悼式典に参加されたのですね。
昨年の2倍近い、1万1000人が参加され、6500本の灯籠で、「よりそう1.17」の文字が浮かびあがったそうですね。

その後の東日本大震災、熊本地震、去年の能登半島地と信じられない光景がテレビ画面にうつしだされました。
去年の私と家の隣3軒やけただけで、ショック受けるてる近所の方々多いのに、市、町全部が炎に包まれるとゆうことは、精神力がもちません。いかに戦争が悲惨なことか。

今平和な世の中に、改めて感謝しなければならないですね。

文句、嫌味を慎みます。
Posted by rino at 2025年01月17日 20:27
かよこさん、みなさん こんにちは

かよこさん、追悼のつどいに行かれていたのですね。
りのさんが言われるように、あの日の事は私も忘れる事はないです。
地震で目が覚めてタンスに近いところに寝ていた末っ子を咄嗟に抱き寄せて大きな揺れが収まる前に家が潰れるんじゃないかとドキドキしながら待っていました。
でもそれ以上の恐怖が震源地に近い場所で起こっていたんですものね。。
想像を絶する出来事です。

阪神淡路大震災以降もとても辛い災害が続いている事もとても胸が痛くなります。

人間は色んな物を発明して便利な世の中になってきました。
でも、自然に対してはなす術もなく、防波堤を建ててもその上を越してくるのが自然です。
今この文字を打ちつつ、目を上げると窓から庭のサザンカが冬の寂しい庭に日差しを浴びて真っ赤に咲き誇っています。
こんな気持ちになるのも自然の力なんですよね。。
なんともまとまりのない話ですみません。

ただ、かよこさんがいただいたカイロの話にほっこりしました^ ^
寒い早朝に有難いですね。
貼れないカイロ。「貼れない」?
ちょっと気持ちが緩みました^ ^
ありがとうございます。


Posted by たまこ at 2025年01月18日 15:02
みなさん、こんにちは

rinoさん、詳しく教えていただいて、ありがとうございます。
17日は喪に服す気持ちで過ごしていました。
東遊園地に着いたのは5時20分ぐらいだったと思います。暗くてよく見えなかったのですが、たくさんの方が来られていて灯籠の側まで行けませんでした。灯籠から3列目ぐらいでした。前におられた男性が涙を流されていました。30年経っても、悲しみは癒えないのだと思いました。

rinoさんのところも凄く揺れたのですね。私は加古川の家の一階で寝ていました。普段は2階で寝ていたのですが、体調が悪かったか何かの理由で下で寝ていました。揺れた時に、主人が私をかばってくれました。2階にいたらもっと揺れて、物に当たっていた思います。
直ぐに起きてテレビをつけて情報を待ちました。神戸が震源であると分かり、主人が神戸に出勤するのを案じました。6時すぎに駅まで主人を送って行くと、電車が動いている様子がありません。主人は車で神戸に向かうことにしました。コンビニで食べ物を買って行くように言ったのですが、寄らずに出かけました。
携帯電話が普及していない頃です。夜中に主人が帰って来て、ほっとしましたが、神戸の様子を聞いて気が遠くなりました。

建築の設備の仕事ですから、それは大変でした。同じ西方面に住んでいた会社の女性社員さんたちは出勤できませんが、おにぎり、おかずを沢山作って、主人が会社に届けていました。
炊飯器で何回もお米を炊いたそうです。
rinoさんはお料理上手で手際が良いですものね。私がその担当になったら、冷凍食品ばっかりになったと思います。


たまこさん、カイロの文字読んでいただいて、ありがとうございます。気がつきませんでした。
神戸市役所の方が配っていたのでしょうか。お聞きすれば良かったです
今日動物園で手冷たくなったので、ショップにカイロを買いに行きました。なんと同じ「貼れない」カイロでした!

たまこさんのお宅もかなり揺れたのですね。咄嗟に末っ子さんを守られて、すごいです。大きな揺れで恐ろしかったですね。
神戸の方々は離れた私たちの怖さとは比べものにならない恐怖、戦慄だったと思います。

毎年何処かで自然災害が起こり、被災地の様子に心が痛みます。

今朝早くに目が覚めたのですが、何かが倒れて行くような大きな音がしました。何か起こった、と思いました。しばらくしてサイレンの音がしたので、ベランダにでて周りを見ました。三車線をふさぐようにワゴン車が横転していました。主人を起こして、見に行ってもらいました。日曜日の早朝で交通量が少なかったのが幸いでした。

本当に何が起こるかわからないですね。体が少々痛くても、元気で暮らしていることに感謝しないといけないですね。


Posted by かよこ at 2025年01月19日 17:53
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