2009年09月06日

NHK「天地人」の舞台、会津若松城

NHKの大河ドラマ「天地人」が佳境になった。夫の大好きな「関ヶ原の戦い」が近づいてきている。会津若松城には19年前に新婚旅行で訪れた。秋だったので落ち着いた美しい城と思った。この城には蒲生氏郷が入り、氏郷亡き後上杉景勝が主になった。徳川、伊達のおさえには大物で無ければ務まらない。地政学上常陸・会津は重要らしく豊臣時代は常陸は「佐竹」、会津は「蒲生」「上杉」。徳川時代になり常陸は御三家の「水戸」、会津は最終的に「松平」と、大物が置かれていたらしい。良く分からないが「蒲生」「上杉」は配下に万石級を与えていた。この方式はトップが蒲生氏郷、上杉景勝のように統率力があれば有効と言われている。それに対して「松平」は配下に中級を多く持っていた。支配方法が違う。ここはあえて言えば負け組の城で、蒲生家・上杉家・加藤家・松平家は勝ってはいないそうだ。
姿三四郎のモデル、西郷四郎も会津出身だそうです。夫は次に上杉・徳川の激突の話をしたいそうだ。



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会津若松城















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蒲生氏郷の墓


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2009年05月25日

主は石田三成、佐和山城(跡)

5月24日のNKHの大河ドラマ「天地人」は、石田三成が主役みたいだった。1997年に彦根を訪れた時、石田三成が主だった佐和山城跡にも行った。山道を歩き、本丸跡まで登った。彦根には立派な城が残っているのに、何も無いところへよく行ったものだ。戦国史ゆかり地にはロマンがあるのか、夫は本当に満足げに行き難い場所も訪れる。夫は石田三成が特に好きだ。他に直江兼続、大谷吉継、蒲生氏郷、平塚為広、戸田重政、嶋左近、蒲生郷舎、松野主馬などが好きで、全部負け組に属している武将だそうだ。今の自分の立場を象徴しているのでは? と思ったりする。
今後のドラマの舞台となる会津若松、関ヶ原では、また言いたいことが沢山あるようだ。


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佐和山城跡
滋賀県彦根市古沢町、彦根駅の北側、佐和山(232.5m)にある城跡。不破(ふわ)の関があった関ケ原に近く、交通の要衝だった。近江守護佐々木氏によって築城され、天正18年(1590)石田三成(1560-1600)が、佐和山城主となって、5層の天守を構え、鳥居本(とりいもと)を大手とする立派な城だった。三成が関ケ原の戦いで破れた後、井伊直政が新しい城主になったが、慶長11年(1606)、彦根城築城にともない廃城になった。建築物の多くは彦根城や麓にある清凉寺、龍潭寺(りょうたんじ)に移築転用され、現在では佐和山城を偲ぶものは、山腹の石田群霊碑だけとなっている。山頂からは琵琶湖や比良川系が一望のもとに見わたせる。
(滋賀県観光情報から)

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2009年05月11日

「本能寺の変」、夫の好きな戦国時代の大河ドラマ「天地人」より

NHK大河ドラマ「天地人」を観るのを、夫はとても楽しみにしている。昨日は「本能寺の変」を放送していた。また夫の講釈が始る。「変」は、黒幕説が多数あるそうだ。朝廷、足利義昭、堺の商人、イエズス会、家康、秀吉、近衛前久、斉藤利三、等があって、それぞれの組み合わせもあるそうだ。毛利輝元、島津義久説まであるらしい。分からない出来事だから、いろいろな説が出て来るそうだ。朝廷と近衛前久が、夫の好みらしく、本もよく読んでいる。お勧めは、小和田哲男の「明智光秀」だ。生きていれば歴史は間違いなく、違う方向へ行ったと思っている。「変」がなければ、上杉景勝、直江兼続の首は無かったと熱く話した。

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「天地人」の織田信長役、吉川晃司
信長役はいつも二枚目俳優が演じ
吉川晃司も好演している


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2009年05月03日

大河ドラマ「天地人」の舞台、越中魚津城

NHKの大河ドラマ「天地人」で、越中魚津城の落城が来週放送される。1993年に旅行で魚津に行ったが、魚津城址の事は覚えていない。夫はそこが目的であったようである。案内所で地図をもらったが、魚津城址の表示はない。地元で聞いた人も分からなかったそうだ。写真で見ても、小学校に大きな石があるだけだった。
今ネットで調べると、魚津市は「魚津城の戦い」についてのサイトや、パンフレットを作っている。魚津城址も分かるように、ノボリなどが立てられているそうだ。吉江宗信役の山本圭さんが出演した、トークショーで言っていた。落城のシーンで見せた山本圭氏の演技に、スタッフ全員が涙したそうだ。


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魚津駅 (1993年8月)
旅行で町に着くと、最初に駅に行って写真を撮る








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魚津城址にある石碑










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ついでに教えて貰ったが、この越中魚津城は柴田勝家に攻められて落城した日に、豊臣秀吉が水攻めをしていた備中高松城も落ちた。つまり秀吉と勝家は、天下取りについては同じ条件だったようだ。夫は石田三成とか直江兼継が好きである。兼継についてのお薦めは、主人公では藤沢周平「密謀」。脇役では司馬遼太郎「関ヶ原」だそうだ。

「魚津城の戦い」 のHP
http://www.city.uozu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=1489

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2009年01月11日

大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続の墓

今日、NHKの大河ドラマ「天地人」を見ていたら、「山形の米沢に行った時に、直江兼続の墓を訪れたのを覚えているか?」と、夫が聞いた。1週間ほど山形を旅行したのは、10年以上前だ。当時、直江兼続の名前すら知らない私は、全くそのことを覚えていないが、昔から夫は直江兼続が好きだったそうだ。ヨーロッパ旅行をするまでは、国内旅行をよくしていた。夫が大好きな戦国史にまつわる城跡、合戦地などが中心だった。
直江兼続夫妻の墓は、米沢市の林泉寺にある。この寺は新潟県上越市、春日山の麓にあったが、上杉影勝が米沢に移封された後、米沢に移された。


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米沢市 「春日山 林泉寺」


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直江兼続夫妻の墓






直江兼続は、米沢で屯田制度による士族救済を実施し、屋敷割や町割、治水、産業振興策を固め、上杉家を磐石にした。日本初の銅活字による「五臣註文選」を刊行し、学問所禅林文庫の設立を行った。


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お墓の側にある説明
こんな写真があったとは知らなかった。


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2008年09月12日

世界の歴史 「ビザンツとスラブ」


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8月14日に日中の暑さと、オリンピック観戦の休憩のために図書館に行った。お盆休みで沢山の人がいて、座るところを見つけるのも大変だ。特に読みたい本もないが(読書は大の苦手)、何気なく本棚を見てたら、世界の歴史シリーズの「ビザンツとスラブ」が目にとまった。ビザンチン芸術には関心がある。「スラブ」もブルガリアはスラブ人が多く、ルーマニア人に比べてシャイでおとなしい人が多いと、ルーマニアのガイドから聞いたのが印象に残っていた。なんとか椅子を見つけ、少し読んでみたら面白かった。ビザンツでは后を、美人コンテストで選ぶ。家柄は全く関係ない。コンテストに参加する美女達を地方にも探しに行き、その時に持って行った靴が履けることが条件だという。まるでシンデレラ探しのようだ。本にはカラーの挿絵、地図もあり、わかりやすので借りることにした。貸出期間は2週間。まだ日があると思ったら、あっという間に返却日が来た。まだ5分の1ぐらいしか読んでなかったので、図書館に行き延長できるか聞いてみた。次に予約が入ってなかったら、1度だけ延長が可能ということだ。で、2週間の猶予をもらったが、気づけば返却4日前で、4分の1しか読んでなかった。それから一生懸命読み始め、なんとか読み終わり、返却日の夜に図書館の返却ポストに入れに行った。
が、この本とても面白く、結局ネットで調べて買うことにした。ビザンチン帝国の歴史、東欧(ロシアを含む)の歴史が国別に書かれてあり、同じキリスト信仰でもカソリック、東方正教会に分かれた理由などもわかる。読解力がないので、内容の半分も理解できてないと思うが、関心のある場所は読み直そうと思う。
高校時代は世界史が好きで成績もよかったが、テストのための勉強だったので、常にある期間の部分しか頭になく、歴史を大局で見ることはなかったように思う。何十年もたった今、覚えていることも少なくて後悔する。本読みは苦手だが、季節も良くなるので、この本の中に紹介されていたロシア、ポーランドの小説なども読んでみたいと思う。


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2008年01月20日

スコットランド王国史話


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昨日「スコットランド王国史話」を読み終えた。何年ぶりだろう、本を読みきったのは。私にとって本を読むのは、とてもむずかしい。読み始めて5分で、集中力がなくなり、何読んでいるかわからなくなってくる。でもこの本は努力して、スコットランドへ行くまでに読むべきだった。スコットランドでは、エディンバラ城、スターリング城、リンリスゴー宮殿を訪れた。エディンバラ城、スターリング城ではオーディオガイドを借りて、説明を聞いた。が、流して聞いていたので、ほとんど頭に残っていない。この本を読んでいた夫は、熱心にガイドを聞いていた。理解も全然ちがったと思う。


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  エディンバラ城

エディンバラ城で、小さいチャペルがあり、気にいったので写真を撮った。このチャペルはマルカム3世(1058〜1093)の2度目の妻マーガレットが、建てさせたものだ。このマーガレットは、イングランドで統治していたサクソン王の孫にあたる。サクソン王家はノルマンの征服を受け、イングランドを追われることになり、ハンガリーに亡命の海路で暴風雨にあい、九死一生を得てなんとかスコットランドにたどりついた。多数の難破戦の漂着で、国王マルコム3世もでて行き手伝った。難破者の中でひときわ目をひいたのが、マーガレットと、その兄アシリングだ。王は二人を庇護し、王妃を亡くしていた王は、マーガレットと再婚する。美しさ、サクソン風の教養の高さからくる魅力は、王に大きな影響を与えた。信仰心厚く、決断力のあったマーガレットは、イングランドより遥かに遅れているスコットランドの生活レヴェルの向上を、夫を通して実現した。数々の功績をおさめ、ノルマンのイングランド征服はスコットランドにより大きな利をなした、といわれるそうだ。エディンバラ城でもっとも古い建造物として残るのが、この「セント・マーガレット・チャペル」である。
「スコットランド王国史話」では、スコットランドの始まりから、スチュアート王家の直系の断絶(1808)まで書かれている。私達が訪れた場所が舞台になる出来事が沢山ある。


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   セント・マーガレット・チャペル
posted by jirokayo at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする