2017年06月08日

フェーニェシュ・アドルフ「食卓の用意」- ハンガリー絵画botから

以前に右脳、左脳の話題がよく出ました。一般的に「左脳は理屈、右脳は感覚」と言われてますが、医学的な証明はないそうです。どちらかを使いすぎるとバランスを取るためか、欠けている方を使いたくなるようです。ハンガリー絵画botのツィートでハンガリーの作品を見ると、とても心が安らぎます。こんな絵が描けたらなぁ、ともう長く休んでいる絵画教室を思い出します。



ラベル:美術
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2014年11月29日

ハンガリー、グドゥルー宮殿-エリザベートが好んだ離宮

ハンガリーを愛したエリザベート(オーストリア皇后)が特に好んだ、ブダペスト郊外の「グドゥルー宮殿」。

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エリザベートが暗殺された後はハプスブルグ家の者がこの城を訪れることもなく、ふたつの世界大戦中は国家元首の別荘として使われた。戦後はソ連兵の兵舎として使われ、一時は廃墟のように荒れはてたが現在は修復作業が続けられ、見学できる箇所が増えている。

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宮殿入り口

大平原トラベルの現地ツアーに参加して、グドゥルー宮殿を訪れた。ガイドのカタリンさんから宮殿について、エリザベートについて沢山の説明を聞いた。2007年に放送されたNHK「ハイビジョン特集 ハプスブルグ帝国」を当時は繰り返し見ていたので、ハプスブルグの歴史はざっくりと覚えていた。

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エリザベートとフランツ・ヨーゼフの母親は姉妹で、二人は従弟だった。親同士はエリザベートの姉とフランツ・ヨーゼフを結婚させる約束をしていたが、顔合わせの場所に後から遅れていったエリザベートをフランツが気にいって、エリザベートを結婚することになった。

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宮殿の礼拝所、今は結婚式にも遣われる。

バイエルンで伸びやかに育ったエリザベートは、堅苦しいウィーンの宮廷生活に耐えられなかった。厳格な姑(叔母)に生活を管理され、子供はあなたには育てられないでしょう、と言われ取り上げられたそうだ。心身共に疲れ果て療養のために旅に出たり、ハンガリーを訪れていた。

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エリザベートの部屋

ハンガリーに自由と安らぎを感じたエリザベートは、ハンガリーの人々の自由への思いも理解する。皇帝フランツにハンガリーに時事権を与えることを進言し、皇帝はそれを受け入れ、オーストリア=ハンガリー二重帝国となった。

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19世紀半ばの宮殿

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皇帝、エリザベートと子供達

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プロシアとの戦争時には病院にもなった。

宮殿の中には大理石でできた部屋がある。マリア・テレジアがブダペストを訪問したときに宿泊した。ブダの王宮に泊まらずグドゥルーに滞在したことを大変名誉に思った城主は、100年間この部屋は使わないと決めたそうだ。ソ連軍の兵舎になったときに、マリア・テレジアやエリザベートが遣ったベッドなどは、マキとして燃やされたそうです。

宮殿内は撮影が禁止されています。

グドゥルー宮殿
Gödöllői Királyi Kastély
Gödöllő, Grassalkovich-kastély, HRSZ: 5852, 2100 Hangary
ホームページ

ラベル:ハンガリー
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2014年11月28日

ハンガリー、ブダペスト国立美術館

ハンガリー旅行を決める前にブックオフで見つけた「La muse ブダペスト国立美術館」、1993年の発売の美術雑誌。中を見て驚いた。ゴヤとドニの絵が美しい!10年前にブダペスト国立美術館を訪れているが、まったく見覚えがないし、雑誌でも見たことがない。現地で小さなガイドブックを買ったと思うが、今手元になくてわからない。まぁ、無理もない。10年前は時間がなくて美術館を走るように回って、夫の好きなエル・グレコの絵を探した。

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2014年10月末から2015年2月中旬までブダペスト国立美術館は、「レンブラントとオランダ絵画の黄金時代」を開催している。私達が行った11月6日(木)、特別展は驚くような人が来ていた。プダペストでもこれだけオランダ絵画が人気があるのだと感心した。フェルメールの絵もルーブル美術館、シュテーデル美術館などから4点出品されているが、フェルメールの絵の前に人は居なかった。

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常設展はフォトチケットを購入すれば写真が撮れる。が、中欧のフォトチケットシステムをすっかり忘れていて、チケット売り場までの道のりが長く飽きらめることにした。
絵はLa muze からです。

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ブリューゲル(父)
洗礼者ヨハネの説教
1566年、95x160.5cm
1912年に美術館は16世紀のフランドルの巨匠、ブリューゲルの絵の寄贈を受けた。

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エル・グレコ
オリーブの園での祈り
1610〜14年、170x112.5cm

グレコは良い作品が何点ある。グレコ好きの夫はうれしそうだった。

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ゴヤ
水汲み少女
1810年、68x50.5cm
マドリードの宮廷画家として活躍した後、市井の人々の生活を描いた傑作を数多く残している。
この作品は労働者のたくましい生命力を讃えている。

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ドニ
母の喜び
1895年、81x65cm
芸術は精神の創造物である、という理念を貫き人間の内面を表現する絵画を追及したドニ。
25歳の時のこの作品は豊かな母性に溢れている。

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マネ
ジャンヌ・デュヴァルの肖像
1853年、90x113cm
詩人ボードレールの愛人、創作の源になった女性。「黒い悪女」と言われた女性をマネは荒々しく冷ややかな魅力を描いている。

ブダペスト国立美術館
Budapest, Dózsa György út 41, 1146 Hungary
公式サイト
ラベル:ハンガリー 美術
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2014年11月23日

ハンガリー王宮、国立美術館

ブダペスト、ブダの丘にある王宮は内部が美術館になっている。1944年にブダペストはドイツに占領されるが、翌年ソ連によって開放された。ドナウ川にかかる橋は全て落とされ、ブダ側にドイツ、ペスト側にソ連で大激戦があり、王宮もその時に破壊された。建物は再建されたが中には何もない、ということで美術品の展示場所になったそうだ。

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美術館ではハンガリー画家の作品が観られる。歴史画、風俗画を通してハンガリーの人々の生活がわかる。
ショップでガイドブックを見つけることができなくて残念だったが、フォトチケットを購入して写真を撮った。

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バロック絵画の展示室

写真は光が入っていますが、美しさは伝わると思います。クリックで拡大します。

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Altarpiece of the Holy Ghost from Csíkszentlélek
1510年
Csíkszentlélekはトランシルバニアの町、1661年にモンゴル人によって破壊されている。
聖人の顔がアジア人、モンゴル系の顔に見える。

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Székely Bertalan
Dobozi Mihály、1861年
Doboziは高貴な兵士、(と翻訳ソフトが語っています)

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Székely Bertalan
The Women of Eger、1867年
トルコが攻めて来た時に女性も戦った様子を描いている。

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LIEZEN-MAYER Sandor
Saint Elizabeth of Hungary、1882年
ハンガリーの聖人 エリザベート、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートの名前はこの聖人からつけられた。

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KARCSAY Lojos
Apple Harvest、1885年
りんごは野菜のない冬の保存食で、わらを敷いて並べられていた。時々向きを変えて、痛みだしたものから食べていたそうだ。

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Rudnay Gyula
Woman Embroidering、1917年
刺繍
女性の表情が優しくて、好きな作品です。

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Fényes Adolf
Siblings、1906年
兄弟を描いている、優しい絵で、岩崎ちひろの作品を思い出します。

ハンガリー国立美術館
Buda Palace Buildings A, B, C, D
ハンガリー国立美術館の公式サイト

ラベル:美術
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2014年11月07日

ブダの丘、カフェ ミロ

昨日はブダペストの観光、午前中にペスト地区にある西洋美術館に行き、午後はブダ地区をまわった。
ブダの丘、マーチャーシュ聖堂の正面の道に入ると写真のメニューが見えた。
休憩したいと入ったら、なにやらアートな雰囲気で面白い。スペインの芸術家、ミロをモチーフにしたカフェだ。

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マーチャーシュ聖堂

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写真につられて店に入った

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外の席に座った

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メニューの色もオレンジ

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グヤーシュスープ、パプリカのオレンジ色をしている。ハンガリーはパプリカの産地、店の色調はパプリカとミロの合作かしら。。

ハンガリーの旅行記は夫ブログ 二郎余話(ハンガリー)に掲載中です。

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2014年11月06日

ハンガリー、センテンドレのコヴァーチ・マルギット美術館

ブダペストから車で約30分のセンテンドレを訪れた。多くの博物館や画廊、芸術家で知られていて、得にハンガリーを代表する女流陶芸家コヴァーチ・マルギットさんの美術館は、沢山の著名な方々も訪れている。

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コヴァーチ・マルギット美術館

ガイドさんの説明を聞きながら回った。
写真は本からです。

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Shy Girl、 1947年

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Angel Listening to a Secret、1967年

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Hommage a Szentendre、1969年
センタンドレの町へオマージュ
かつてトルコ侵攻から逃れてきたセルビア人が多く住んだ町、センタンドレは教会が多い。

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Which is the Mother and which is the Dautghter Now? 1974年
どちらがお母さんでどちらが娘?
マルギットさんは生涯独身でお母さんと一緒に過ごした。お母さんが90歳でマルギットさん70歳。お母さんが亡くなられた数年後にマルギットさんも他界した。

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Cantata Profana 1969年
(9匹の不思議な牡鹿)バルトークの楽曲名。
元になった話
猟師の父親は9人の息子に狩りを仕込む。ある日、息子たちは魔法にかかった橋を通って森を奥深く行くと、みな鹿に変身していた。そこに父親が現れて、息子たちに弓矢を向けるが、真相を知らされると、息子たちに帰って来るよう哀願する。しかし鹿たちの返事は、角が邪魔して扉を通り抜けることができないから、このまま森で新しい暮らしを送ることにする、というものだった(ウィキペディアより)
牡鹿達が源泉のきれいな水を飲むから大丈夫だよ、と言った言葉に東ヨーロッパの民俗音楽を収集していたバルトークは、自分とオーバーラップした。東欧の村々の老女達から直接聞く歌、音楽は源泉なのだ、と。この物語を大変気に入ったそうだ。

ハンガリーの旅行記は夫ブログ 二郎余話(ハンガリー)に掲載中です。

ラベル:ハンガリー 美術
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2014年11月04日

2004年NHK「世界遺産 青きドナウの旅」-ハンガリー

2004年11月〜12月にハイビジョン生中継で「世界遺産 青きドナウの旅」が放送された。ドナウ川が流れる国、ハンガリー、チェコの町からで、中央ヨーロッパの魅力をたっぷり紹介してくれた。偶然同じ時期にチェコ、ハンガリーを訪れていたので、この番組は後の総集編を観ることになった。

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番組は住吉美紀アナウンサーと、ドイツ文学者の池内紀さん(姫路市出身)が案内役を務めている。
写真はドナウ川が町をゆったりと流れるブダペスト、本当に美しいところだった。
ハンガリーの歴史の説明もあり、2004年にユーロに加盟するまでのハンガリーの長い道のりがよく理解できた。

ピアニストの西村由紀江さんが出演されて、ドナウ川が流れる国を巡られた思いをこめて、ブダペストと国会議事堂で弾かれた曲「輝くもの、すべてに」。10年経った今でもはっきり覚えていて、東欧が好きな私にはとても心に響く。


西村由紀江さん 「輝くもの、すべてに」
ラベル:ハンガリー
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2014年11月01日

BS朝日「人生を変える7日旅-ハンガリー×室伏由佳」

「人生を変える7日旅-ハンガリー×室伏由佳」、というBS朝日の番組を観た。
元ハンマー投げ日本代表・室伏由佳さんが、人生を変えるために選んだ旅先はハンガリー。室伏さんのお祖母さんの出身国がハンガリーで、いつかゆっくり訪れてみたいと考えておられたそうだ。
室伏さんのがお祖母さんと一緒にハンガリーで過ごしたのは、子供の頃、2回だけだ。が、ハンガリー料理、グヤーシュを食べて、お祖母さんの味がする、と懐かしそうだった。7日間の旅の中で出会いがあり、成り行きのままお祖母さんの出身地、トランシルバニア地方のティミショアラに行くことになった。

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トランシルバニア地方は以前はハンガリーの領地だったが、今はルーマニアだ。ティミショアラは国境の町で、ルーマニア革命の始まりとなったことでよく知られている。私はルーマニア旅行の時に、車でブカレストからティミショアラを訪れた。ハンガリーの影響が色濃い町と思ったが、歴史を見れば当然のことだった。

番組最後の室伏さんの晴れやかな笑顔、7日間の旅は大きな収穫があり、人生を見直す機会になったのだと思った。私もどきどきして観ていた。ハンガリー旅行前にこの番組が観れて、本当に良かった。CMが多いが、スポンサーは資生堂で美しい女性が色々と出てきて悪くはなかった。

人生を変える7日旅-ハンガリー×室伏由佳 の番組サイト
http://www.bs-asahi.co.jp/jinsei/prg_001.html
ラベル:ハンガリー
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